昭和51年10月30日 朝の御理解



 御理解 第45節
 「世に、三宝様踏むな、三宝様踏むと目がつぶれるというが、三宝様は実るほどかがむ。人間は、身代ができたり、先生と言われるようになると、頭をさげることを忘れる。神信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。とかく、出るくぎは打たれる。よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい。天は高いから頭を打つことはあるまいと思おうけれど、大声で叱ったり手を振りあげたりすることはないが、油断をすな。慢心が出ると、おかげを取りはずすぞ。」

 おかげを受けると言い信心を頂くと言い、本当に分かれば分かるほど、信心も出来んのにおかげを下さる。考えて見ると結局信心も出来んのだけれども、神様が出来たかのようにおかばいを下さっておかげを下さる。もうここまで分かったここの信心が出来た。と言うけれども厳密にそれを検討してみると、実に相済まない事ばっかりでございます。昨日当りの御理解を頂いておりますと、もう本当に際立って合楽の信心が、まぁある意味合いではずば抜けたところにあると。
 表行より心行をせよと言った様な、例えば御教え一つでも、表行を全廃して心行一つですから、もういつも自分の心の中に神様を頂き通し、いつも神様に喜んで頂くような心の状態を心の状態をと、願って行く事が心行でもうこれに勝る行はない。表行はもう金光教の信心に大体表行はない、とまぁ昨日は頂いとります。いや表行はせん方がおかげを頂くとまで、まぁ極言して昨日はお話を頂きました。今までお道の信心をずっと頂いて参りましてから、こんな素晴らしい金光教というものを感じた事がなかった。
 私自身。なるほど金光教という信心が、もうあらゆる宗教をずば抜けて、なるほど人間氏子が頂かなきゃならない、人間が頂かせて頂かなければならない、真の宗教だと言った様な事がその一言からでも、表行より心行をと言った様なその一言から言うても、それが言えれる程しの素晴らしい事だと、私昨日も思いました。ですからそういう信心をだんだん分かって行きよるのですから、この上もない信心を身につけて行っておると思うておりますけれども。
 ならやはり神様の目から御覧になると、その心行心行と言うておるけれども、果たしてそんなになら水も漏らさん程しの心行が出来ておるか。迂闊にしておる事が多いのであります。昨日は思いもかけないおかげを頂いたのですけれども、昨日は敬親会もあります。月に一回のお年寄りの方達が集まって来て、まぁ言うなら私に会う事を楽しみに月に一回だけはと言うて、参って来る年寄りもある位。
 熊本からも月末の御礼参りが、必ず二十九日にあります。やはりそれも私がおらなければ、まぁお礼に出て来る人達に対しても、相済まんと言う様な日でしたから、どんなにでも口実はつくのですけれども、昨日私は伊万里行きを致しました。前の日から前の前からお届けがしてありまして、竹内のあのうお母さんと、あのう日田の竹内さんとが、なんか大祭の時のお約束があっておって、伊万里のまぁ言うなら窯元めぐりのような、行くという約束が出来ておったらしい。
 それで誘われて、綾部さんもそれから久富正義先生も、空閑さんもの話が出来ておった。苦労がお届けがあっておりましたから、まぁ話が出来ておった事だけがあっとりましたから。私はそれをお取次ぎさして頂いて、ならまぁ行ってらっしゃいと言う風に言っておりましたが、今日の晩に遅う若先生がやって参りましてから、明日あのう今東京からお父さんが見えております。あのうお父さんが行くと言いよんなさると。だから親先生あなた行ってもらわなければ困るとこう言う訳です。
 けど二十九日はこうこうだから、私がおらなければ出来ないし、口実はなんぼでもつくのだから、私は行くまいと言ったけど、どうでもやっぱ行ってもらわねばいかんと申しますから、神様にお伺いしたらお許しを頂くというよりもね、行けという意味の事を頂くんです。それを何べんも何べんもお伺いしました。行く事に対して躊躇しておりましたから、そしたらそのうやはり何んか、ははぁ今日は御用があるんだなと思いましてから、まぁ行く事に致しまして。二台の車に分乗してあちらへ参りました。
 私が来ると言う様な事やらは、全然向こうでは当てにしなかったんです。ところが行きがけに恐らくこちらから、親先生も行かれたというて電話をかけられたんでしょう。ちゃんともう私が行く事も知ってございましたから。それで早速あのう今あちら東京の方におい出られます鍋島さん、いわゆる鍋島候です。その方のところの日常に使っておられる、あのう食器類があのうこちらへ今来て、明日までかなんかと言う事らしい、素晴らしいそのういわゆる鍋島、いわゆる大河内焼ですね。
 伊万里焼です、昔のそういうあのう茶碗が、あそこは何とかそう言う様な美術館のようなものが出来ておりますから、そこで展示会があっておるから、そこへあのうご案内を頂きました。本当に目の覚めるようなものばかり見せて頂きましたら、それからあのう引き続いて、大河内焼きの窯元に参りました。今以前にも一回参りましたですけれども、そうでもなかったけれど、その窯元の方達が皆んな集まって、そのう銘々とこの品物を出して、立派な展示場が出来ております。
 だからそこへ行けばもう窯元を一軒一軒回ったと同んじ、より以上のものがそこに出ておりますから、そこを見せて頂きました。私はそこへ行く途中でね、あのう途中で交通安全の標語がどこも出てますよね。それにあのうチラッと車窓から見た訳ですけれども、「人に用心車に用心」というのが出ておりました。素晴らしいですね。人に車は人に用心せにゃいかん。人は車に用心しなければいけないと言う事です。これが出来たら完璧ですね。車は人に用心する。人は車に用心するというのです。
 私は今日の四十五節は、そう言う様なあのう、いつも完璧を目指しての精進、用心というものがいるんだなとような事を、まるきり御理解を頂くような思いで、まぁ窯元の方へ着きました。まぁ見事なものばかりが沢山出ておりますけれども、もう目が飛び出るように高くてから、もう見るばっかりですけれども、中に一点こんなに小さいけれども、もう実に見事に出来た、白磁の布袋さんが出ておりました。はぁいいなとこう思いました。とても出来がいいんです。
 それをこう求めるような意味の事を頂きますから、お願いさせて頂きましたら、それを求めるように頂くんです。それであのう正義先生が一緒で、「正義さんあれを一つ求めておいてくれ」と言うて、まぁ買うてもらいました。まぁ結局はお供えになりましたけれども、まぁ私が求めてそれを、まぁ買わした事になりました。そうしてから頂く事がですね、あの布袋さんというのはお腹を出しておりますね。そしてこう団扇を持っておる。そして大きな袋を持っている。
 その袋の具合もなんとも言えん、あの後でまたいつか見て皆さんに頂こうと思っているけれども、それを頂いてですね、まぁ言うならば素晴らしい、でその布袋様ですけれども、言うならだらしのない格好ですよね。お腹を出して何かでれっとしてという感じでしょう布袋さんというのは。今私の控えにあのうその布袋さんが軸が掛ってます。「天上界においては弥勒菩薩。地上界においては布袋和尚」という賛が書いてあります。あれは京都の何とか大善寺ですかね、なんか大きなお寺さんがあります。
 そこの先代が書かれた絵です。それの時の御理解を頂きましてね。天上界においては弥勒菩薩。地上界においては布袋和尚だと。その布袋和尚を目指せと言う訳です。地上界ではもう最高だという、いわゆるお道で言うところの、生神を目指すと言う事なんです。信心はいつもだからそこを目指してからの信心ですから、絶えず精進から精進改まりから改まりと言う事になって行かなければ、生神を目指しておると言う事にはなりません。ははぁ神様が私の言うならばだらしのない信心の中にです。
 そのだらしない生き方をです、改めよという私はそれを頂いた時に、ははぁ今日の伊万里行きはこれであったなと思いました。それからもうそれだけでもう夕方になりましたから、伊万里でいつも行く時に招待を受けます一流、一番あのうまぁ伊万里では超一流の料亭にご案内を頂きまして、まぁ大変おかげを頂きましたがです。そこの大きな床の間に、何とやっぱり布袋和尚の大きいのが飾ってありました。床の間に真ん中に。
 もういいよいよもって神様が、布袋和尚的な信心から、本当の意味においての大黒様的な信心に、変らなければいけないと言う事を、まぁ言うなら声なき声で、私に言うておられる思いが致しました。あちらに参りましたら、もう沢山な大変なお御馳走の前に座っただけではなくて、私は驚きましたんですけれども、もう本当にいつもながらに竹内先生の行き届かれた事に、もう全ての点ですけれども、本当にやっぱりあのう伊万里の市民の方達が、日本一の市長さんと言われるが、本当に日本一の市長さんだと思います。
 行き届いておらると言う事だけではなくて、今度の佐賀で国体がございましたね。それでもう天候の事をお願いしておりましたが、もう本当にもう朝までは、土砂降りであっても、ツーといえばカーというおかげを頂いて、しかも昨日ですか昨日一昨日はね、そのう初めて、伊万里がいくつか優勝したそうです、伊万里市が。それでそのお祝いがですね、提灯行列の様な、パレードのようなものがあって、私どん昨日行っておるなら、何もかも出来なかった。
 昨日はまた、何もかにもが済んでと言うところでしたから、あぁもう一家を挙げてまぁそう言う事が出来た訳ですけれども「、竹内先生もずっとついて回って下さったし、そして最後にその料亭に参りました。驚きました事は、佐世保から芸奴さんが二人来ておりました。私共何人かの為に。それもです何かというと、なら私が喜ぶから親先生が好きだからですよ。ならこの頃宮崎に参りましてもそうでした。あちらの一流どころがやはり二人来ておりました。芸奴さんが二人。
 結局親先生がそう言う事が好きだから、皆んあがそういう心を使うんだ。今までは許されておったけれども、はぁ今日を境に神様が、もうボチボチ六十三にもなったっちゃけん、さぁそれこそ一杯飲むとすぐ歌の一つも歌うたり、踊ったり三味線を弾いたりすると言った様な事は、もうボチボチ卒業せにゃいけんぞと言われた気が致しました。もう私は寂しい気持ちもせんじゃないですけれども、もう大変うれしかったです。
 言うならばですね一歩前進、生神に向かって進まして頂くためにはそれがいると、かねがね思わんでもなかったからであります。そう言う様な事が、例えば放任されて改まらんで行くというところに、三宝様を踏むような事になりましたり、天は高いから頭を打つと事はないと思うけれども、天で頭を打つような事にも成り兼ねない。だから皆さんがね、お神酒を頂いてお酒を頂いて、歌を歌っちゃならんとか、踊りを踊っちゃならんとか、三味線を弾いちゃならんとかと言う事じゃないですよ。
 だから皆さんとてもです、段々段々生神を目指して、そりゃあ今まで神様都々逸を歌わせたまうと言った様なものが合、楽の神様だと言う事です。神様都々逸を歌わせたまう。素晴らしい事だと。けれどももう神様都々逸を歌わせたまうと言う様な神様は、一つ卒業しなければいけないと言う所に、立っておると言う事でございます。そうして私はまた、帰ってから驚きました事はです、私はもうこちらからひと間詰めでしょうか、あちらからあちらでもう八時半か、そのくらいにあちらを出発した訳でしょう。
 二階から下へ降りてまいりましたそのフロントのところに、皆さんがお店の方達がみんな、送りに出ておられました。私が着きましたら竹内先生が「ちょっとご覧下さい、ここにゃこんなに沢山な瓢箪が集めてありますよ」と言う訳です。それはまぁいろいろな瓢箪が沢山そこにぶら下げてありました。いわゆる帳場ですね。そん時に私がそこの女将にですね、「いやぁ沢山瓢箪がありますね。私の方には三升入りのあのう瓢箪がある。だからそれをここへ差し上げましょう」と言うて約束してしまった。
 あれは向かいの奥さんが亡くなった時に、これは合楽の先生に上げてくれ、大変酒が好きでしたから、三升入りの大きな瓢箪があります。それをあげる事に致しました。何気なかったけれども帰ってみて、ほんにあんな約束しとったから、今度伊万里から来たら、あれを言付けなければいけないなと思わせて頂いておるうちに、はぁなるほど神様がこれが終止符だと思いましたよ。囃子言葉の中に歌のね、「浮いた浮いた、瓢箪ばかりが浮きものか」と言った様な囃子言葉がありますでしょう。
 ははぁもう私が神様が浮いた浮いたは許されないんだな。許されないんだなというよりも、もうこの辺は卒業せよと言うておられると言う事。またいよいよ徹底的なものに致しました。今日も伊万里からお礼に出てくるでしょうけれども、あのう瓢箪をあちらに約束しておるからあげるのじゃない。私の心から私の生き方から、いわゆる浮いた浮いたをなくする、言わばそういう生き方にです、終止符を打つようなものを私は感じました。そういう例えば私の信心を皆さんがずっと御覧になってから。
 神様からそこに何んかきっかけを頂く、もう是ではいけないぞこれからはこうあらなければいけないぞと頂いたら、私は絶対それを実行致します。言うならば切り替えをスキッとするんです。それは信心の過程ですから、こういう時もあっていいあぁいう時があってよいけれども、そのこう言う事やらあぁ言う事が、何時までももし続いてそれあるとするならば、それは進歩がない証拠です。趣味でも道楽でもそうです。程度の低い趣味から段々高尚な趣味に変わって行かなければ、進歩しておるとは私は言えないと思う。
 心の内を改める事言うならば自分の在り方の上にも、改めた上にも改めて行くと言う事が、いわゆる「天上界においては弥勒菩薩、地上界においては布袋和尚」と言われる、教祖はそこんところを、生神、生神とはこの神がそこに生まれると言う事。この方ばかりが生神ではない、皆んなもその様なおかげが受けられると仰せられてある。その生神を目指す事がお道の信心ですから、ここの過程にはこの事があってはならない。ここの過程には、ここはもう改めなければ上には進まれん所が私はあると思うんです。
 恐らく今度の合楽の行き方の中にはです、いろいろなそれこそどこへ行っても、私が宴会なら宴会ふうな招待を受ける時には、親先生が見える時には必ず芸奴さんを、もうホントに、まぁ私あのう随分皆にそういう意味合いにおいて、気を使わせて来た事だと思いますよ。宮崎に行ったら、宮崎ではちゃんと芸奴さんを二人雇うちゃった。たった私達は五、六人行っとるとに、しかもね呼ばにゃよい芸奴がおらんけんで、わざわざ佐世保からそりゃもう私は、はぁもう今日は最後だから。
 神様がこういう三味線も上手、歌も上手歌もうまいという芸奴さんが二人来て、言わば初めて見た踊り、初めて聞いた歌と言った様なものを、聞かせてもろうたり見せてもろうたけれどもです、これからはこういう心を皆さんに使わせてはならないと言う事をです。ならあのう皆さんが、そのう芸者を呼んで散在しちゃならないと言う事では決してけれどもです、私が行く事のために、わざわざそういう心を使わせんで済む、私にならなければならないと言う事を、私はそういう生き方がです。
 言うならば先生と言われるようになると頭を下げる事を忘れる。本当言うたら実が入れば入るほど、頭が下がって行かなければならんのが、生神への道である。だからそういう精進をさせて頂くと言う事が、そこにです何かそこに神様が、一つの改まらして貰うチャンスというか機会、もう今日を境にと例えば、神様と言うて下さるような感じの人達にはです、お互いはそこをもう本当に未練でなく、スキッと改めて行く生き方を身に付けて行くと言う事がです。
 私は取りも直さず三宝様を踏む様な事にならんで済む、頭が高いと神様から言われる様な事がないおかげが頂けると思うんです。決して神様は大声で叱ったり、手を振り上げたりなさるような事はないけれども、言うなら暗々裏の中に、声ない声をもって神様がお気付けを下さり時に、そこんところをいい加減にせずに、スキッと頂きとめて行く信心が肝心だ。そこにです私が昨日そのう自動車の車窓から見た、「車は人に用心する。人は車に用心する」そういう慎重な用心が必要だと言う風に思います。
 人が車に用心する。車が人に用心する。神様と私共の上にです、そういう言うならば心配りというものでしょうか。そういう慎重さというものが、私共の日常生活の中にです、こんくらいの事はもう当たり前と言う様な事の中にです、往々にして頭を高うするような事があったり、三宝様を踏む様な事にならんとも限らんのですから、心して信心を進めて行かなければならないと言う事になります。
 本当にしかし神様はね、なるほど昨日私は本当に、伊万里行きと言う事は思うてもいなかったし、断れば断れるから何辺も神様にその事をお願いしましたけれども、やっぱり行っても良いじゃなくて、行かなきゃならんと言う様な風に頂いたんですけれども、なるほど私の信心一つの一角をなすというか、一つの信心の曲がり角と言った様な所を、次の手掛を与えて頂いたような気がして、寂しい気もせんじゃないけれども、けれどもそれよりも増して、私は嬉しくて有り難いという思いの方が強かったように思います。
   どうぞ。